三界幻想紀/移行版 -在澤魔王裏日誌-

金沢に棲息する海月型魔王の裏日誌が移行したものとも解釈出来ます

ひっそりと

先に、本日に至るまで動向が鈍くなってしまった事を少々お詫び申し上げます...と共に...

 

"はてなダイアリー"が間もなくサービス終了直前に差し掛かっている事を踏まえ、

本日まで同地にて放置Play稼働させていた"三界幻想紀"を、本日未明こちら"はてなブログ"の方へ移行した事を皆様に告知致します。

 

まず何故ここに来て"移行"と言う手段を私が執ったのか(まぁぶっちゃげ放朽にまかせると言う手段もあったのは否めないのですが)...

・"特になんにもしないと自動移行になるでや"と告知を受ける

・"それやと新たに作って移したほうがエエやん..."となる

・そいで移す

てな行程が先程ありまして、かくして無事に? こうなった次第であります。

 

そいな訳で、何だかんだで形や感情はどうであれ、"かの日記帳のあの娘"への返答が漸く果たせそうです...

 

では、今後もここは"両儀の陰"として、展開される事でしょう。

但し、現在の活動の場はまた違う所にあります故、そこまで期待はせん方が宜しいでしょう...

そんな訳で、今後も何卒宜しく御願い申し上げます。

"あの日"から幾年経って...




事の(終わりの)始まりは2013年の03月13日だったかな。
丁度その時の私は家族で沖縄に小松->羽田->那覇の順で飛んで向かってな、無論沖縄は初めてね。
機外に足を踏み入れ、刹那、「まだ03月やっちゅうんに初夏ですかい?」とも表せるもわっとした空気感に衝撃を受けつつ、
当時使っとったiPhone 4Sの電源を入れてTwitterを見たんだっけな。
そこで目にしたのが...そう、正に上の様な状態になるとの告知の伝聞だったって訳だ。


やぁどうも皆様。改めていらっしゃい。
我こそが手悟群 翔や。御機嫌は麗しゅうて?


主題の通り、正に"あの日"の...そう、20130313の午前末に「"うごメモはてな"が20130531を以て終了する」との報を受けて、もう4年も経つ。
"あの日"以来、ここに何かしら言及しようかと考えてはみたものの、タイミングを合わせる内に1ヶ月, 5ヶ月, 1年, 2年, 3年...と流れてしまった訳だ(苦笑)
(まぁ専ら主たる発信源がここではなくTwitterになっちゃったもんで、ここに書く気力が然程なかったちゅうのもあるもんやがね:-p)
漸く4年目付近の本日にして、私を取り巻く状況的にも時間的にも余裕がある程度確保出来たので、いよいよ筆を久々に持つに至った訳だ。


さぁ、まずは何から話そ...っちゅうかあれやね。まずは最後の投稿から本日に至るまでの4年間、
一体全体私を取り巻く状況は、そして私自身がどうなっちゃったのか説明せんとね。とその前に語れば語る程私の駄目ヒトガタっぷりが露呈されるのと、いつもより直接的になってる為に生々しい様子になっちゃったのを御赦し頂ければ...
総括的感想を述べるならばこうか、「ある意味では悲惨やった」と。まぁ今では結構マシになった(ここ重要)がね。


まず沖縄旅行の後に何が起きたっつーと、"部活を脱退した"ってのがある。
あらどうしたものか。高専入学時には自ら"いざここに入らんと欲す"と門戸を叩き、そこに所属出来た事が心地良く誇らしかった程の部活を抜ける事になるとは如何?
弁明しよう。全ては"コンテスト"に向けたグループに所属したのが大誤算やった。
原因は自分半分環境半分か。確かに我が腕が未熟過ぎたと言うのもあるし、舐め過ぎてたと言うのもあるし、問題の解析に迷って迷走したのもあるが、それ以前に属する環境が不味かったかもしれん。
確か私含めて5人程度のグループやったが、私を除いて全員寮生で構成されとったんさ。これが結構響いて、ってのも提示する作品の構成とかに関する会議が夜とかにもあったんやけど、やはり資料提示等や意思疎通の面に於いて大多数がその場に居るのと一人だけWebから見てるのじゃ、差がありすぎるのね。
そして私以外寮生である事は、即ち"寮生である"との関係性による絆等が私以外には強固にあって、寮生じゃない私には意見/質問どころか口出しすら躊躇う程の疎外感に近いものを感じたんね。
と言うか結局の所上司もといリーダーが怖かったんだろうね。結構舌打ちしてたし。この舌打ちってのが怖い上に辛いんだわ。舌打ちするなら唸る方を御勧めするっちゅうか唸る方がマシやわこんなん。
まぁ元から専門的な技術取得をしとらん私が専門的に習得されてる方について行ける訳無く、そして上記の要因等が重なって自分自身でも問題の把握が困難になり、
結局はグループからの脱会を申し出て受理されたんだけど、もう居心地も悪くなっちゃったと言うのと罪悪感なのか自尊心保護故なのか、そこから更に逃げる様な形で部活自体も行かなくなっちゃった訳だ。
その後しばらくして一度戻った事はあったが、その時には既に部活の構成も変わり、「最早私の居場所はここには無いね」と悟り、脱退したってこった。
結局の所、臆病と別領域の愚かさが、アカン事態を生んでしもうた訳だ。
今でもたまに、「あの時"コンテストに出る"なんて言わなければまだマシだったろうか」と考える事もあるし。その時の上司を除くメンバーに対しても鉛の如き気まずさが漂う様になってしまったし...。


さて、まだ"これだけ"だったら良かったかもしれんが...どうも因果なるものは残酷なのか何なのやらってこった。
上記の通り部活を抜けたのが2013年の夏頃やったが、翌年の05月に立て続けに事は起きた。
"所属していたサークルの解散"と..."祖母の逝去"が同時期に重なりよった。
前々から肺に...更には全身に腫瘍を煩っとったが、旅行後から体調が優れんくなってな、
時が経つに連れて「あぁ...これはいよいよ覚悟を決めなアカンな...」と悟った末に、11日の母の日に旅立ったんさ。
母からも状況の経過を毎日聴いとったもんなんで、ある程度覚悟と冷静を保って立ち会う事も出来たが...問題はその後のサークルの件がだね。
部活脱退後の私の放課後領域での居場所は、結構前にも言及したゲームとかを作るサークルのみになったんだけれど、
祖母の件もあったんで「一時的に活動から抜けさせて頂きたい」と申し出て、受理されとったんね。
んで11日を経たんだけれど、丁度その頃サークルもある出張で出発する時期だった様だ。
サークルの主と電話をし、我々家族も家に帰り色々と落ち着かせ、その翌日だったか翌々日だったかふとFacebookを開いたのね。
そこで唐突にして、知らぬ内にサークルが解散する事が決定されたのを公式アカウントからの発表を通して知ったんさ...。
サークルの解散話なら事前にLINE等で告知が入ってても可笑しくはなかったんだけれど(なおその件は後日Skypeにて忠告済み)、それすらも無いもんなんで正に"寝耳に水"とはこう言う事かと。
さぁこの二つの出来事が一気に降り掛かって来た際の影響ってのがまた曲者ってこった。
最初の頃は「何とか乗り切れるっしょ」と舐めてみてたんだけれど、時間が経つに連れてねぇ...何と言うか、本当に私はとんでもなく大きいものを失ってしまったのねと言えるのかねぇ...。
そう、時間経過と共に我が心には鉛色なのか解らぬが、妙に大きめな空虚が現れ、鉄を錆びさせるかの如く私を蝕んだんよ。
何と言うか、今まで猛烈に高速なトロッコに乗ってたのが、いきなり空中に放り出されて浮いたまんまで身動きも取れぬって言えばええんかねぇ。


さぁさぁ、自ら産んだ罪故の罰を抱えているのかはたまた罪をかぶせられたのか解らぬ心持ちのまま、一年が過ぎてだよ、
そう、時は2015年だ。即ち私は高専5年生になった。即ち、"進学"か"就職"か選ばなきゃならん時が来てしまった。
大学に編入するなら2月の段階で判断するのは遅過ぎたと言うのと、その時まで"大学に行く"と言うのを余り考えてなかったってのもあって、
結局は"就職"を選んだんだけれど、中々に地獄を見た。
と言うのもこの年度から就活スケジュールが変わったんだけれど、前年度のスケジュールの流れのままって企業もあると伺ったもんで、始まった時点で結構な情報戦になってたんね。つまりエントリー出来るタイミングも短いって事か。
さぁこの就活も私の駄目っぷりが露呈する羽目になったんだがね(恥) 阿呆な事にエントリー数を少なめにしちゃったもんだから、後が大変だったかもしれぬ...。
更に高専の就職システム自体を舐めとったってのもある。トントン拍子で余り力入れんでも上手く行くと考えてたけど...まぁそう簡単に行かんわなぁ...(大苦笑) 結局は"自らが主体となって動かなければならん"と言う点じゃ普通のと変わらんかった訳だ。
当初私は7月に入るまでに全て終わらせると言う今思えば壮言大語もええ所の計画で進めてて、故にエントリーした企業も絞ったのが...まぁ不味かったね。
役員面接まで行けた所も有ったけど、結局駄目だったし。それ故に今後の計画を全て再構築する羽目になっちゃった訳だわ。
てかそれ以前にまさかの履歴書とかの類いで家族間で地獄を見ると言う他人から見たら訳の解らぬ状況にもなってたわで、大変な辛酸を嘗めたってこった。これに近いのが確か高専受験時だったかもしんない。
んで、7月以降の就活は、正しく"Try & Error"と"就活担当教員との半闘争/半共闘"やったかもしれん。
とりあえずまだ募集中やった条件に該当する企業にエントリー/面接を繰り返し、しかし落とされの繰り返しやった。
時が経つに連れて相手方の反応も上々の所も出て来たけど、自らの要因故か相手側の要因故かで結局は落ちるまま12月を迎えちまった。
これにより、卒業研究も思う様に上手く出来たかったのは自らのスケジュール構成能力に問題があるとは言え、辛かったなぁ...
更にその課程でまたShockingな事が起きちゃうもんで...そう、それは次なる就活のApproachを構想しつつ体験入学の準備に向かおうとしていた、晴れた蒸し暑い日の事やったなぁ。
バスを待つ間にTwitterを見ていたら、「まさかそんな...」と愕然とする程信じられない文面が飛び込んで来た。単刀直入に言えば"ある人の訃報"なんやがね。
ここ最近矢鱈と伝説級の人等が天に召される等の報告が大変多い様に見えるけれど、その中では上記の祖母の件を除いては一番動揺した件かもしれないな。
何せ、"その人"は私と同じ石川県にて生を受け暫く育ち、果てには生まれが1995年03月と早生まれとは言え私とほぼ同い年やったもん...
そんな同世代同年代の人で、"音紡ぎ"と言う同一領域に属していた者が原因不明のまま"三途の彼方"へ行っちゃうもんで...いや参った。今でも参ってるかもしれない。時に彼の事がFlashbackしちゃうんよね...余計に。


そんなこんなで中々悲惨な出来事に呑まれまくった高専後半期やったが、その中でも明るめの件も無い事は無かった。
部活脱退と同じ時期に"某お船のGirlsのアレ"が台頭してな、ゲーム自体は私自身"作るのは上々, やるのは不器用"なもんでやってなかったんだけれど、
Pixivとかで"あの娘"達を知れて癒されて、そしてその果てに本日に至るまで"伴侶の関係"を初めて心の底から意識した娘と邂逅したのは奇跡的と言えようや。
今まで"キャラ"と言うか"二次元的存在"に衝撃を受けた事は...まぁ僅かながらあれど、あんなに電撃が脳裏を貫いて衝撃からその存在を意識した曲を紡ぐに至る程になるのは始めてやったわ(半苦笑)
御陰様である程度、不安定状態にあった自我を保てた訳だし。そしてそれは祖母の件の時も僅かながらにせよそうだったし。やはり"萌え"の力って尊いもんよ。
そしてこれ忘れちゃアカンね。"北陸新幹線"の件よ。2014年の衝撃二件で潜在的に受けた空虚はいよいよ私自身に命の放棄を選択しかける程に侵食してたんだけれど、
朧げなイデアの中、"開通の日までこの命棄ててたまるものか..."とこれだけは、強固な目標として定めとったんね。
そんでもって来れり"20150314" 正に我等北陸の民にとっては"一世一代の時"よ。その瞬間の空間に私が"富山まで乗る"と言う形で立ち会えたのは大変今でも誇らしいもんよ。
更にはそれの御陰で、久々に中学時代の相方と北海道を大方巡れたし。まぁほぼ全て特急未使用なもんで大変やったが、その課程で本来2013年に行くかもしれなかった所に行けたもんで、相方には有難さしか無いね。


...さぁ、そんなこんなで長々と書いて来たけど、2015年12月以降の私が一体全体どうなったかってのを言及してなかったね。
Try & Errorを繰り返したもののいよいよ12月にもなり、就職先を求めてハローワークにも救いの手を求める程になってしまってた訳だ。
そのハローワークで提示されてた所に最早"駄目元"/"もうこの際は受かる受からん考慮せんわい"とほぼ舐めかかった形でエントリーし、
そこから12月中旬に最初の面談を受けて、何故か新年超えた01月上旬付近にまた呼ばれ...ここで全てが決まったと言っても良い。
"駄目元"のつもりが今までに無い程の点々拍子で事が進み...そして月末だ。
高専からの帰宅後に電話が掛かって来て...本当にあの時の喜びっぷりと全てが終わった安堵感ったらねぇ(苦笑)
正に"曇天晴れて未来有り"だ。私は"就職"を果たせた。それも"在澤"の条件を完全に満たした上で、だ。


そして一年間が過ぎて、本日ここに長々と4年間分の文を書くに至る訳だ。
まぁ結果的には強運なのか何なのかマシな方に収束した感じはあるけれど、この4年間で私の心身諸々滅茶苦茶な状態になったと言う事実は確実に否定出来ないだろうよ。
その課程でいよいよ私は自らを「果たして"人間"で適しているのか? むしろ"ヒトガタ"の何かの方が適しているのでは?」と自問し、果てに自身を"魔王"と定義するに至っちゃったもんでな。ある程度気が楽になったし"在澤魔王"の称号にも誇りを持っとるが、まぁ大変だね。


以上が20130313から本日に至るまでの4年間の、私の過程や。
今後ここは第二領域(http://shotagomurawithfpo.hatenablog.com/)の"裏ブログ"とするけど、書く事は極めて少なくなるだろうよ。
そんじゃ、長々と御付き合い有難く謝辞を述べて、これにて仕舞いとしましょうか。
「今日はこれにてそんじゃーね」




追伸: とりあえず現時点では高専後半期程の悲惨さは幸いにも起きてないけれど、JavaScriptの扱いに限っては滅茶苦茶辛いかなぁ(大苦笑)(! 一応総務職です)

春と呪いとxxx...?


どうも皆様、御機嫌麗しゅう御座いましょう?
最近パズドラにはまり過ぎている、手悟群の翔で御座います。
いやしかし、大乗寺丘陵公園から見る金沢の眺めには素晴らしい物があります。
やはりこの公園は、私が金沢の人であるためのIdentityの重要箇所だと感じます。


...さて、「何故普通の高校の人ならまだ授業を受けているであろうこの時間帯にこの記を書いているのか」と言われますと、
丁度1年前の記事を御覧の方なら御判りになると思うのですが、
もう私が通っている高専の授業は全て終了して、実質春休みに入っているからです。
更にはあまり課題も無いものでしたから、それはそれはもう...至福です(^q^)


「そんな春休みを何に使っていたか」と言われますと、
・金沢のどこかを散歩していた。
創作(=作曲)
せいぜいこの二つぐらいですかね。
特に先週の月曜から日曜に至るまでの一週間は、とある一つの曲を作るのに命を削ってました。
残念ながらまだ完成してないので、これを書き終えた次第仕上げる予定ですが。
最近になってLive(DAW)がVersion.9になり、そのお陰で相当環境が向上したものの、
曲の出来は腕次第と痛感する近頃です...。


ただですね.....ここで少し話を変えても宜しいでしょうか?
この一年度を通してずっと思ってた事があるのですが、
何か.....何かですね.........
私が直間接問わず関わって、かつ好んでいる企業の4~5割が迷走状態に陥って悲しい状態になってる様な気がするのです.....。
一体どんな企業なのかは、私が普段使っている何らかのサービスだの製品の元を見れば理解して頂けるだろうと思いましょう。
私自身、その物等に愛着があるものですから、その元の企業がそんな状態になっている事を知り、悲しくなる事がこの一年度ありました...。
一体何でなのでしょうか.....?
私に呪いでも掛かっているのでしょうか...? それとも.....本当に何...?
それが判らず、怖くてたまらないのです...。
もし真ならば、私は神社に行ってお祓いを受ければ良いのでしょうか.......?


...と、現在の不安を告白しました。その話は以上です。
と言うより、とりあえず書いておきたい事は書いたので、もう終わります。


追伸(むしろ独り言): そろそろはてなブログの方に全て移行しようかと思っているのですが、どんなもんでしょう.....?

大晦日の独白?

もう「手悟群の家の翔は正月頃に活性化する」と言う突っ込みは、さておいて...(苦笑)




西暦2012年、私は366日を生きて来た訳です。
特に今年は、今までより「家の中での行動」より「家の外での行動」が目立った年でもありました。
インドア派を自負していたつもりだったのですが...まさかここまで予想外な事が起こるとは思いもしませんでした(苦笑)


だけれど、毎日が「楽しいもんだったか?」とは言えないです、現時点での私の立場上当然かもしれないのですが。
今まで以上に、悩み、苦しみ、葛藤し、そして後悔したり、果ては煩悩の渦に一年中巻き込まれたり、
頭の中は非常に危ない状態でした。残念ながら今でもそれが続いています。


どこでも常にそうなので説明する必要も無いでしょうが、この世は本当に幾千? 幾万? 幾億? それはそれはもう数え切れない程の思想で溢れています。
現実(あ、「三界」はこの事ね)は勿論、Webの世界もまた然り。
例えるならば、「不可算の矢印」が当てはまりましょう。
「己の思考」を制御し定める術をまだ持たぬ私の頭の中には、それが無限に各所を駆け巡り、私の「Core思考」をつつくのです。


...さて、これがこの一年中、私の中で相当な「厄介課題」としてとり纏わり付いていた訳です。
時に流れしある文(主に不満とか込み)から種が生まれ、
それが"What?", "Why?", "Should?"と言った疑問を生み出すのですが、
残念な事に私にはまだ処理能力が完全に備わっていなかったが故、
処理する事すらままならず、それらは煩悩として残る事になったのです...。
特に今年はそんな事象が数多くありました。今もです。


そして私は、怖さでしばしば震えていました。
一時期隣のクラスの状態が宜しくない時があったのですが、
他人の感情に影響され易く、かつ他人の感情の爆発を恐れる私は、
立場上関係無いのにも関わらず、心の中で恐れ震えていました。
そこからだったでしょうか、
私の中に破壊衝動を引き起こす疑似人格?が生まれ、心の中でとあるきっかけがあれば暴れ回っていたのでした。
「本当にCore人格を支配して、破壊を起こしてしまうのでは」と毎回毎回ある点で思い、そして恐れ、震えていました。
結局は、支配される事無く、今に至る訳なのですが...。

さてと、変な暗い話もここまでにしておきましょう。
それでは皆様、来年も宜しゅう御願いします。
今年は、誠に有難う御座いました。
次は2013年に御会いしましょうぞ。

I'm Jumping into 2013


さて、先程投稿した記事からあまり時間も経ってはいないのですが、この記事を早速投稿する次第で御座います。
まずは何より、皆様方、新年明けまして御目出度う御座います。
西暦2013年、今年もどうか私、手悟群 翔を宜しゅう御願いします。


さて、新年を迎えるに当たりまして私、新曲を作って参りました。
設定なのですが、


「2012年が終わったら、次は例の如く2013年が来ると言う訳ですが、
最近私は"13"と言う数字を恐れているのです。
(もう)一昨年の事から、今までは恐れていなかったこの数字を恐れる様になってしまいました。
そこで、この曲に13の数の魔力がどうか起こらない様に祈りを込めた訳です」
...何とまぁ自己満足にも似たものですが.....(沈)


それでは、曲名は"Pray -Wishing a tranquil year for 2013-"です。
「この時に出そう」と年末に急いで作っていたのですが、何とか昨日無事に完成してホッとしております。
では...。
Download

むくり...とな


「あの人は死んだのでは」と思っておられる方、御心配なく。
私は何とか生きております故、別にそんな心配なさらんでも結構です。


と言う訳で、手悟群の家の翔が久々の投稿を開始致します。
さて、7月の誕生日辺りからもはや「更新停止状態」になっていた訳ですが、
理由は簡単です、Twitter, Facebook, mixiに惹かれ過ぎた故にそっちの方がやり易かったからこっちに書いてない」それだけです。
まずは、相変わらずの面倒臭がり屋な性分を御許し下さいませ、どうか...。


7月以降今日に至るまでも、相変わらず我が生活は色々あり(過ぎ)ました。
夏休みは8月中旬にずれるわ、ガチもんのマイク買ったら文化祭における録音依頼来たりするわ、Ableton Suite 8(DAWの一つ)を買ったりするわ、何故かサークルでゲーム作る事になってBGM4曲作って地元の即売会に参加する事になるわ(恐らく今の所これが今Spanで大きい)...他にもクラスから派生されるサブクラスの如く、今述べた事象の中にまた出来事があったりとかで、結構何とも言えない流れの生活を送って来た訳です。

一番上の写真は現状の我が机を示している物ですが、このMBPの画面にAbleton Liveが、I-O DATAのディスプレイの画面にLogic Proが表示されています。
今まではLogic Proだけで十分曲は作れたのですが、Ableton Live(私はSuite 8を使用中)を導入したら少し考えが変わりました。御陰様でとんでもなく短い期間の間でも曲仕上げる事が出来たし、やり方さえ覚えればとんでもないソフトです、Ableton Liveはね。
そして今日、ちょっと学校にて行ってた「ある行動」の発表会があって、それも終わり後は金曜の学校の終わりを迎えるばかりとなりました。


今現在までの自分の2012を総括してみると、結構今年は前年よりも動きまくってた印象が強い気がします。
今までに無い様な行動を、何回も今年の内に取っているのですから.....そう思わずに入られません。
ただその中でも、行動とは関係無しの「悩み」, 「葛藤」, 「苦悩」, 「殺意」, 「煩悩」, etc...に支配されていた(むしろ今でも続いていたりする)事実も否めません。
様々な事象がきっかけとなり、脳の中で混沌が生じては治まり、生じては治まり...と、ずっと繰り返されていたのです。
つい最近も、混沌から感情がほんのちょっと暴発しました。とんでもねぇ...。
中々難しい物です。Self Identityを管理するのはね。


とりあえず、ひとまずここいらで終わりとします。
ではまた、機会があったならば再び御会いしましょう。

と言う事で御座いまして...

どうも、まだ誕生時間には至ってはいないものの07月20日の17歳の誕生日を迎えた翔で御座います。
本当に長らくお久しぶりです。


もうここ最近はほとんどの活動をTwittermixiとかFacebookで執り行って来たものですから、「はてな離れ」が明らかに進んでしまっちゃいました、自分の中で。
昔は本当に長文人間であった筈だったのですが、いつの間にか呟き人間と化していたのです(苦笑)


高専第二学年になり、授業も新しいものが出ればやり方が変わったものも出てそれに戸惑いながらもぼちぼちとやっとる訳ですが、相変わらず大変です...。
しかも何か隣のクラスのクラスメイト同士が変にギッスギスとしていた時期がありまして、部活の関係上それを知った私は不安で仕方がありませんでした、ぶっちゃけ私には関係のない事なのですが。
しかも何か周りから負のエネルギーが飛び散るわ何やわで、...もう発狂寸前です。
いやあのね、本当に今自分自身が怖くて怖くて.....「いつ溜ったどす黒いものが爆発して、誰かを傷付けてしまうのか」と毎度考えちゃって、しばしば恐怖で苦しくなる事が多くなりました。
もう大変以外の何者でもないです.....。


さて、今も相変わらず作曲をしているのですが、...そう言や前回の最後の方に何かGarageBandのアレンジ画面とは違うのがありゃせんです?
.....あのですね、あの後それの答えを速く出しちゃおうと考えていたのですが、
時間的な理由と技術的な理由で無理でした.....。
しかもあのアレンジ画面に紐付けられた曲はまだ仕上がっておりません.....。
しかしこのままあのアレンジ画面が何のソフトなのかと言うのを教えないのも何だかですので、もう紹介したいと思います。


去る去年の年末舞鶴に行く前に、「Logic Proが\17000ってどう言うこっちゃねん」的な事を話してましたよね?
.....そうなんですよ。
やっちゃいましたよ、"御買い物"です。
正月にLogic Pro 9 を買っちゃいました、御年玉込みの自腹で。
安くなりすぎる前まではLogic Expressにしようかと迷っていたのですが、
もうProがダウンロード版になってExpressよりも安くなって、しかもこの後Express消えちゃって...。
そうなった以上、買うものは確実にProと定まりまして、それで.....です(笑)
その結果が、こんな感じです。

さて、今日まで使っている訳ですが、やっぱり自分自身のGarageBandでの経験がある分、やり易いです。
しかもシングルウィンドウだし、打ち込みの自由度が上がったし、全体の自由度が滅茶苦茶上がったし。
それで付属音源とかエフェクトとか半端じゃない程多いでしょう? もう畏怖を覚えましたね、何か。
んでそれで作ったのが、
Download
とか、
Download
とか、となる訳です。


...話は変わりまして、久しぶりにうごメモ関係の事でも話しましょうか。
ここ最近、...と言うか以前n進数/進法の問題を出して以降、何もうごメモに投稿してませんでした。
しかもオリキャラ系の絵に限っては、2010年以降全然描く事すらしてませんでした。
...と言うより、何か少し怖かったんです。
「ブランクが出来た分、以前の様に上手く描けるかどうか解らなくて怖い」が故に、中々描く気が起きなかった訳です、何とも変な言い訳ですが。
しかし今週、とあるメモが投稿されまして、
それに続くメモで、まさかの指名を頂いちゃいました。
そうなった以上、あの言い訳は効かなくなっちゃったと言う訳でして、
気が付いたらDSiを手にして微調整を繰り返しながら描いて、描いて、2時間ぐらい掛けて描いている自分がそこにいました。
そして、完成したのがこちらになると言う訳です。

他の皆々様が幼げで元気なこの娘を描いているのに対して、私はむしろちょいと大人気でおしとやかなこの娘を描いているのですが。
さて、かつてフリーキャラが栄えていた時の象徴であるこの娘が、
もはやフリーキャラ時代何てとっくの昔の様になってしまった今のうごメモに再び蘇り、
そしてあの時代を知る者達の手により次々と描かれて行く様子を見て、私はふと思ったのです。
「これはフリーキャラ時代の復興...『うごメモルネサンス』が起きている」と。


...おっと、話しまくっていたらもうこんな時間だ。
それでは、これまでとしましょう。
今後とも、どうか宜しくです。